シータヒーリング マウント 自己価値

マウントを取る人は、性格が悪い人ではなく「不安な」人。恐れが強すぎて、安心したいから他人にマウントをして自分の立ち位置を必死に肯定しようとする。
内情は、家庭が安心出来る場ではないとか、尊重されていないとか、満たされていないとか、「幸せを見つける」ことに不器用なのかもしれない。

誰かを不快にし、傷つける言葉や態度で自分を上に見せようとする相手と実際関わるのはかなり厄介。けれど、それを直ちに「エゴイズム」とはぶった斬れない。このエゴイズムは不安や恐れから来るもので、元々性格が悪い人とも言い切れない。自己防衛の仕方を知らないだけかもしれない。

突き詰めていくと、マウントを取る人は自己価値観が著しく低いことが分かる。夫の職業や収入、子供の成績、自分の家柄、社会的地位、学歴、資産。「何を持っているか」で幸せの基準をはかろうとするから、満たされない。そこをいくらたくさん揃えても、そこに永遠に幸せはないということに気付けないから、追い求め続ける。求めても求めても、全然幸せではないから、まだ足りない!とますます「何を持っていれば満たされるのか」を手探りでさがし続け、焦る。「幸せではない自分」を認めたくないから、外に向かって「持っているもの」をアピールし、外からの称賛を得てかりそめの幸せを感じようとする。ここに、マウントを取られる側は巻き込まれるわけだけれど、巻き込まれるには理由がある。

マウントを取る人は自己価値の低さが課題となっている。幸せとは何かが分からない。自分の内面の中に、豊かさも幸せセンサーもあるということを知らない。

これ、巻き込まれて憤慨している人も、同じ自己価値の低さ、ありませんか。

角度が違うから自覚しにくいけれど、例えば誰かと比較して、落ち込みませんか?誰かを羨ましいと妬みませんか?内面の豊かさを育てることや、自分を肯定して愛するということから離れていませんか?
同じ自己価値のテーマを持っていると、全然角度が違っても、巻き込まれる。何故なら両者共に、学びのテーマが同じ。だからネガティブな現実を共同創造する=巻き込まれる。

そもそも自己価値観が高い人は、誰にマウントされようが、ふ〜んと受け流し「それは私の問題じゃない」とマウントを受け取らない。マウントする相手も、欲しい称賛や安心感が得られないからこういう人にマウントを続けることはしない。

受け取ってしまうのは、マウントを取る人の圧に押されて「強いものにはまかれろ」と手下みたいにおべっかを使う人。あるいは、本当はマウントなんて聞きたくないのに言われっぱなしで反撃することも、距離を置くことも出来ずにいる人。どちらも確固たる自分への価値を持っていないから同調したり巻き込まれて嫌な思いをする。

おかしいことはおかしい、何でそんなことを言われなければならないのか?と主張出来る人は自分の中に物事を見る尺度を持っていて、人は人、自分は自分と、自分のエネルギーで勇敢に生きていけるだけの強さがある。その強さこそが、自己を肯定する価値観から生じる。

シータヒーリングで嫌な人が人生に現れなくなるのは、この自己肯定による部分が大きいと思う。自分を愛せない人(マウントをとる人)は、自分を愛している自己価値観が高い人に近寄らなくなるから。生きる波動が全く違うから、同じ3次元に生きているようにみえても、実は生きるエリアが違ってくる。

自分を愛し、比較意識から解放され、内面の豊かさを育み始めたらきっと、世界が変わる。これが、境界線にもなる。

シータヒーリングの本質は、これ。そうなるために、恐れや拒絶や後悔を手放すという前準備をしていて、畑を耕している段階がそれ。そのあとで、やっと自分を愛することにフォーカスし、自分のエネルギーで歩んで行くための種蒔きをする。花が咲く過程で、花が他者を癒すように、シータヒーリングを学ぶ人達も他者をヒーリング出来るエネルギーに変わって行く。

マウントを取ってしまう人も、取られて嫌な思いをする人も、どちらも同じ段階を踏む。誰も悪ではなく、生き方を知らないだけ。不器用なだけ。遺伝子や養育でそうなっているだけ。変わるチャンスは、いつだって目の前に。