◯◯すべきという固定観念

15年近く前に結婚式をプロデュースしたお客さんから、最近ちょいちょい相談があります。ヒーリングとは全く関係ない「保育園」についての相談ですが、固定観念(他者のパラダイムを無視した押し付け)や自由意志に関係するトピックなので書いていきます。11月が認可保育園の入園希望を市役所に提出する期限で、お客さんの妹さんが赤ちゃんを入園させたいから、市内の保育園についてどこがいいか教えて、という相談です。

まず何故そんな相談を受けるかというと、保育士当時様々な事情と園長からのミッションで、市内の保育園にめちゃくちゃ詳しくなったからです。保育士の質を高め、保つために保育士等は必ず定期的に「キャリアアップ研修」を受講することと定められています。私はキャリアアップ研修の事務局をやっていました。乳児教育については、丸一日×3日間の研修で使うテキストとパワーポイントを全部作りました。研修には県内の様々な保育園から色々なレベルの保育士がやって来ます。課題への取り組み方を見たり、時にはグループワークに入って活動したりする中で、市内の保育園に属する保育士とたくさん出会います。だいたい、どの園がどういう方針で、職員同士の人間関係はどうだとか、悩みなどもワークで吸い上げるので、裏事情が分かります。研修の講師は力のある園長、理事長がつとめるので、トップの考え方も分かります。また、市内全ての認可保育園、こども園の紹介本を市役所に代わってグラフィックで制作しました。

さて、どの園が良い?という問いの答えには、次のような回答をしました。まず、お子さんの性格やタイプで、どの園にするかを見る、という視点が大前提です。例えば、インドアでおとなしく、コツコツ研究するようなお子さんを泥んこ保育に無理矢理通わせても、お子さんが苦しい場合もあります。園児は外に出てなんぼ。泥まみれで洗濯しても落ちないくらいに遊び倒すのが尊い、薄着で裸足が当たり前、という保育方針は、強い身体を作りますが、こどもの気質に合っていなければスパルタで園庭に放り出される環境に心が疲弊するかもしれません。前提にマッチするかはとにかく見学あるのみです。

個人的に危ういなと思うのが「◯◯すべきという固定観念」が強い園です。固定観念を主張する時、それが様々な異なる方針の園の良さやメリットもしっかり理解しつつ、それでも自分の園の方針が最善だと明確なソースで説得できる観念なら良いと思います。しかし、他の考え方を鑑みず、一方的に固執する固定観念は様々な立場や意見を却下し、主張を一律に通すという良くない状況を生み出します。

固定観念の押し付けの例として、宗教。よく知らないで、対立する宗教をダメなものと弾圧する歴史を人間は繰り返しています。あるいは自分たちを脅かす主義主張を潰そうとしてきました。宗教2世の方が苦しんでいる報道もありますが、物心つかないうちから決められた主義主張とルールの中で、それを疑問に思う前に人生に導入されていた結果、彼らはどんな苦しみを抱えているのでしょうか。
日常生活でも、相手の主義主張が自分と異なると、心の中から排除したり差別するのが人間です。人の心には大なり小なり「こうするべき」という思い込みがありますが、それを幼少期の、まだそれが自分に必要なルール、価値観なのかを判断出来ないこども達が浴びたらどうなるでしょうか。

手作りこそが親の愛情を伝えられることだから、園で使うものは全て保護者が手作り「すべき」、毎日お弁当を作る「べき」(冷凍食品は言語道断、キャラクター禁止、プラスチックの弁当箱禁止)、などの園独自のルールも、親はそれに共感して素晴らしいと賛同するかもしれませんが、こどもはどうでしょうか。

キャラクター禁止は、何故ダメなのかこどもが納得できるように理論的に説明できるでしょうか。ピカチュウが大好き!という気持ちに寄り添うことよりも、園のルールだからだめ!キャラクターに馴染むとバカになる!という説明は、なんのソースもないのでこどもは納得しません。ルールだからだめ、と教えられると、そもそもそのルールが正しいのかどうなのか、自分に必要なのかを考えなくなります。大人に与えられた枠を当たり前としてしまうリスクはないでしょうか。そして自由意志に気づいた時、そこから自分の人生を組み立てる際に痛みを伴うのではないでしょうか。

これ、シータヒーリングを学んでいるヒーラーのみなさんなら危うさが分かりますよね。人生は自分で選択し、ワクワクしながら前進出来たら最高です。でも、あれはダメこれはダメとレールを敷かれ、そこからはみ出すとダメな子のレッテルを貼られ。心に湧き起こる喜びや希望に寄り添ってもらえず、共感してもらえず、ルールだからだめ、とバッサリやられたら、苦しいです。ビリーフはだいたい7歳までの間に創り出されます。保育園時代はまさにこの期間です。ありのままの感情を受け止めてもらえ、肯定され、励まされ、ちょっとはみ出しても本質的な良い部分を見てもらえて信じてもらえる。この経験が出来ることが、何より幼少期は必要ではないでしょうか。誰かの思惑、誰かの作ったエネルギーの中で生きることは、自分のエネルギーで立ち、様々な物事に向き合っていく力を育てられなくするかもしれません。

◯◯すべきという固定観念は、個人間でも他者のパラダイムを無視した押し付けになります。そして、自分の固定観念を手放さず相手が間違いだと責める思考は、とても重たくて、なかなかシフト出来ない状態をもたらします。「女は女らしくあるべきだ」「性別に違和感を持つ人なんて受け入れられない」「男が稼ぐべきだ」「母親なら子供のために我慢するべきだ」心の中でどう思おうが自由です。心の中で思っているだけならその人だけがその「ルール」「固定観念」に縛られて生きているだけだから。それを主張として表出し、誰かをその枠から排除するようなジャッジをした瞬間、それは他者の自由意志を蔑ろにすることになります。
みなさんは、この保育園の選び方から何を思いますか?自分ならどう保育されたかったでしょうか。自由意志。これを尊重してもらえる園がきっとハナマルで、生涯自由意志を尊重された人生が、ハナマルな人生ではないでしょうか。