リレーションシップ2
今日はリレーションシップ2(あなたと創造主)セミナー中です。
私のサバイバル、底流のお話を交えて少しだけこんなふうにシフトできるセミナーよ、をお伝えしていきます。
中学生~高校生頃の私は、弁護士の叔父の姿を見て、相手を言い負かし論破し自分の意見を通すことが出来る力があるなら、黒でも白になってしまうんだ、こりゃ腑に落ちない!と危機感を覚えていました。
私のサバイバルの自己は、論破に強い相手に自分の真実を覆されるのは危険だと感知し、底流はこの危険を回避するために解決策を考えました。すなはち、「覆されないように戦う」「戦って勝つ事で自分を守る」というビリーフ発動です。相手以上の論破が出来る力を身につけたら、負けない。自分を守れる、です。法学部を選択したメインの理由はこの理由ではありませんが、潜在意識は戦うことを選択し、法学部への道を現実化させたんだろうなと思います。法学部にもコースが色々あると思いますが、司法コースはとにかく論文をたくさん書きます。論文は、通説(大多数に支持される一般的な解釈)と判例(過去の裁判で出た判決と根拠)、そして自分はどの立場から事件や訴訟例を解釈するか、という大まかに三つの観点を用意して書きます。通説に反論するなら反論出来るだけの説得力のある持論を展開する必要があります。この力を訓練できるのが論文漬けのメリットでした。
一つ一つの条文には多数の捉え方(解釈)があります。例えば有名な、一年生が最初に演習する「胎児の相続権」。胎児を人とみなす解釈をすれば相続権は発生しますが、生まれるまでは人ではない、無事生まれて初めて人扱いをし相続権が発生する、という解釈をすれば胎児に相続権はない。
法令は細部までガッチリ条文化されているわけではないので、このような複数解釈の立場が生まれます。自分が弁護するクライアントが望むゴールに辿り着くために、立場の違う解釈を封じ自分の解釈を通すために頭を捻ります。
底流に逆らう
最初は、論破されないように人並み以上の論破力を身につけるつもりで論文を書いていましたが、次第に気づいて行きました。あれ、どの解釈も一理ある。様々な考え方があって良いんだなということに。それを、クライアントが決めたゴールに合わせて使う解釈を変えるのって、なんか変だなと思いました。じゃあ何をベースに物事をほぐし解決したら良いのか。達した結論は「道徳心だな」でした。「クライアントのための正義」は、自分の本当の正義じゃない。裁判に勝てても、クライアントは助けられるけど自分の心が削られはしないか?道徳的な解決より、理論を力技でこねくり回し論破した方が勝ちなの?と疑問を持ちました。そこで私は、言い負かされないための解決策を変更します。「そうだ、言い負かされるような状況に身を置かなきゃいいんだ!」と。そう、弁護士になれば、自分が正義だと思って弁護する際に、それに正面から反論でぶつかってくる相手の弁護士あるいは検察がいます。法廷で生きることは、戦いの中で生きる連続。何が正義か分からない世界で、やっと分かった正義も捻じ曲げられるなら、私にはその気力がないなと思いました。友人達は弁護士や書士になりましたが、私は自分の観点の正義感に自信を持てなかったので辛くなるなら最初からやらないでおこうと思いました。だから私は、当時は底流なんて知りませんでしたが顕在意識で無理やり底流に逆らうことで、争いの場から去ろうとしました。
具体的に言うと法廷争いとは無縁に見えるウエディングの世界でバイトをする、という現実を選択しました。ハッピーな人が多そうに見える世界で、他者の幸せな姿をサポートしたいと。そこにいれば理不尽な戦いの場所から逃げられるんじゃないかと。このあとそのままウエディング業界で就職します。ところが、結婚というものも決して幸せのお手伝いだけじゃない世界です。他のお仕事と同じで、会社が白と言えば白。会社都合でお客様のニーズを却下することもあるし、内部の意見対立もあります。エゴイズムをぶつけてくる人だけでなく、それが正しいことだと信じて、その人なりの正義のために意見が対立することもあります。また、両家が必ずしも結婚に賛成というわけではなく、打ち合わせの段階から嫁姑バチバチで各々の立場から主張をぶつけるドラマもありました。
学びを完了する
結局、戦いは避けられませんでした。何故か。私の底流は「まだ終わってないよ。自分の真実を捻じ曲げられないための解決が得られてないよ」と騒ぎっぱなしだったからです。生きる世界を変えても、自分を守る明確な答えがないから底流は何度でも「戦って勝つことで自分を守る」というやり方をリトライし続けていたわけです。これをやめられたのは、シータヒーリングで「創造主の定義観点の正義」を得た時です。人の観点の正義は、必ずどちらかが正しくて、どちらかが間違いだというジャッジがあります。だから勝とうとする。正しさを証明しようとする。でも創造主の定義観点では、そもそもジャッジがない。道徳的にどんな考えを持てば調和と平和ありきの解決が出来るか。それは固執した正義感では到達出来ない観点でした。誰がどんな意見を持ち、どんな正義感を持っていようが、どれも必要で大切な意見です。様々な意見の相違があるから、人はお互いに学び合うことが出来ます。気づきを得ます。だから、誰もが感謝できる対象で、ありがたい存在。自分の中のビリーフで、戦ってくれる相手を引き寄せていただけ。その相手と「正義」を学ぼうとしていただけ。これが、愛の観点で人を見る創造主の目線。
シータヒーリングに出会いようやく、愛の目線や自由意志の学びを完了するわけです。自分を守る方法が、戦うことではないと気づきやり方を変える置き換えをしたわけです。
もし自分の中に、他者をジャッジしたり自分の正しさを証明しようとするエネルギーがあるなら、何故そのエネルギーを持っているのか?メリットと学びを掘り下げてみてください。それを手放したとき、同時に自分自身をジャッジして「だめな自分」という評価を自分に与え自己効力感を下げる人生が終わると思います。他者をジャッジする時、必ず自分に対しても同じエネルギーを使ってしまうので。完璧じゃない自分はだめだとか、失敗だらけの自分は価値がないと思わずに生きられたら軽やかじゃないでしょうか。リレーションシップ2は、自分を許し、愛し、認め肯定し、同じエネルギーで他者を愛の目線で見るための叡智が与えられるセミナーです。潜在意識のサバイバルや底流やエゴイズムが何をやっているのか知ることで、許しが訪れます。深いセミナーですよね。何度教えても、都度過去の自分の現実がどうやって創られたのか思い出し、その度に感動します。どの時点の私も完全だった。素晴らしい私だった。ちゃんと学んで来た。そう思うための叡智は、ブログでは書きません。それはセミナーという形で与えられる設計になっているので、知りたいと決意ありきで受け取れるものなので、必要な方は創造主にそれを与えてくれる、自分が受け取りやすいインストラクターを聴くかマニフェストして受講なり再受講なりしてみてくださいね。相性があるのでリレ2は創造主に確認案件だと思います。