シータヒーリングインストラクターとしての想い
ディバインタイミング
人は生まれて来た時に「学ぶべき内容」を自分で決めて来ます。
私が決めてきたことは「知識のシェアを通して人をサポートすること」でした。だからシータヒーリングと出会う前のこれまでの人生は、経営コンサルタントとして企業に業績回復するための手段や方法をレクチャーしたり講演会を行ったり、大学受験の予備校で合格するためのテクニックや知識を教えることを生業としていました。知識のシェアは日常の一部でした。
シータヒーリングを学び始めて割とすぐにインストラクターになるというディバインタイミングを告げられました。さあここで、今までとは違う教え方を学ぶ必要性が生じます。
「真に相手のためになるサポート」というものは、バランスが必要です。エゴイズムから講師自身が開放されている必要があります。エゴイズムを捨てきれずにサポートしてしまうと、相手のペースや考えを無視して独りよがりなサポート(教え方)になります。魂の波動を上げたくて、軽やかになりたくて受講する方たちに教えるのがインストラクターです。いくら教えることに慣れていても、シータヒーリングのインストラクターをするにはまず自分自身が軽やかである必要がありました。
「サポートする」ためには「尊重」「信頼」「慈愛」「適度な境界線」「感謝」「受容」「共感」など様々な美徳が必要となります。
ああ、だから「人に知識をパスする」という得意分野を活かして、「サポート」という学びのディバインに入ったのだなと思いました。美徳を学びながら人もサポートする、まさにシータヒーリングでいうヒーラーと相手の幸せ40:60の法則だなと思いました。
私にできるサポートの特徴
私はセミナーを理論的に、腑に落ちるレベルで開催しています。
ヒーラーの多くはサイキックゆえにとても感覚的にヒーリングをするのが上手です。楽々とそれが出来るヒーラーも多いと思います。
一方で生きづらさを抱えないために、本来持っていたサイキックを閉じてしまい長年使っていなかった方もいます。その場合、ふわっと感覚的に教えられると受け取りづらいと感じるのではないでしょうか。
シータヒーリングは実はとても緻密に計算された、覚醒のための「理論的な」ロードマップです。順序も内容も最適なタイミングで学んでいけるよう出来ています。つまりかなりロジカルなメソッドです。感覚的なものではなく本質は数式、方程式です。その大枠通りに学んでいけば本来誰でもヒーリングが出来るようになっているのですが、それを教えるとなると言語化が難しい。だからふわっとしてしまいがちなんですね。
当サロンでは、言語化してセミナーを開催します。元々サイキックな方も、閉じてしまった方も、どんな方でも原理が分かるので知識欲が刺激されて、ブレインキャンディーも楽しめるようにサポートしています。閉じてしまった方は、納得しながら理論的に学んだ方がサイキックを取り戻しやすい場合があります。元々サイキックな方も、「だから私、声が聞こえるのか!!」と仕組みが分かって楽しいですよ。
どんなインストラクターでありたいか
シータヒーリングをしていると、セミナー中にエネルギーの流れが見えるようになります。インストラクターと受講生のお互いのエネルギーが飛び交うさまです。
受講している人が、明らかに滞っていてトリガーされ過ぎていたり何らかのビリーフで学ぶことを拒絶しているのに、そこでインストラクターが「クラスをこの時間までに終わらせなきゃ」「この大量の内容を全部教えなきゃ」というプレッシャーで自分本位にクラスを進めていると、受講生は取り残されます。
また、明らかに7層ではない層のエネルギーを使ってインストラクターがセミナーを開催していると、そのクラスの中にはジヤッジや比較意識、エゴイズムが渦巻きます。重たいエネルギーです。学びに来ているのに、ジヤッジされたくはないですよね。だから私は、セミナー中ほぼ7層に繋がりっぱなしでクラスのエネルギーを保ちます。
私は、中継器であり続けたいと思います。
あくまでもヒーリングをするのは創造主です。ヒーラー自身が「凄い」わけではありません。
ヒーリングがうまくいくのは、それだけヒーラー自身が自身のビリーフに対してワークを重ねてきて、美徳をたくさん持っている状態です。その意味では「ワークを頑張ってきて凄い」にはなりますが、パワーの源は創造主です。
これを忘れない限り、エゴイズムでクラスを展開することはなく受講する方たちにとって最高最善の学びを提供できると思っています。
いつでも創造主に対する感謝と、私を見つけ手を取り合ってくれた受講生の皆さんに感謝を持って、最高最善のエネルギー設定をして受講生の皆さん一人一人のペースで学び進められるようなインストラクターでありたいと思っています。わたしもまた、クラスを共同創造してくださる皆さんに教えていただいていることがたくさんで、お互いに先生でもあり生徒でもあると思います。