底流

人生の主導権をワクワクしながら握る

14連勤が終わりやっと丸一日休み。昨夜はセミナーのあとM1観ました。毎年観ているのですが、これを観ると人生の主導権について考えさせられます。自分の好きなことをワクワクしながらやる人生って輝いていますよね。輝いているから周りの人のこともワクワクさせられる。昭和の集合意識はだいぶ薄れたとは言え、まだまだ世の中は受験でよい学校に入ることが安定ルートだという価値観が根強いです。私は自分が反発しながらワクワクなしで受験をして来たことを無意味とは思いませんが、人生の主導権をワクワクしながら自分で握っている人達が活躍しているのを素晴らしいなと思うし、それが若くして出来ていたらなと思ったりします。それをできる彼らをリスペクトしています。

幼少期から思春期の底流

子供のころは小さな肉体で、ワクワクなき戦いをたくさんしていたなと思います。幼稚園も、小学校もわけが分からず受験していて、他者より優れているという「学校が決めている基準」に達することが小さな私の目の前の目標だったようです。親の目標。幼稚園対策で2歳から字を書き、本を読み、パズルをやって、机に座って何かしらやらされていた風景をぼんやり憶えています。国立附属小学校を狙う幼稚園だったので、幼稚園時代も幼稚園自体が塾と併設されたような勉強的の場でした。何故それをやりたいかの意図もなく嫌々やっていたと思いますが、比較されることばかりで、要求されたことを楽しんでいだ情景が思い浮かびません。何故競い、勝たなければならないのか分からないまま戦っていた気がします。

「自発的に」湧き出る楽しいという感情や、「自発的に」これをやりたいこれが好きという感情を知らずに来たな、幼い私、とシータヒーリングを始めて気がつきました。ただ、反発の中で楽しい事を見つける、というやり方で感情自体は育めたので、やり方はあまりポジティブではないけど学べてはいたなと思います。自発ではなく他者への反発を使って、リベンジありきで感情を学び育んでいたなあと思います。

幼稚園は抜け出して勝手に園外に探検に行ったり、知能テストに落書きして計測不能にしたり。小学校受験は国附の試験会場で他の受験者をそそのかして、グループ試験クラッシャーになったり。枠の中にいて何かやらされる場面でことごとく問題を起こしていました。心を持った人間として自分はここにいるよって叫んでました。問題を起こすというやり方で。

私立小に入学してから二年生の終わりに退学になるまで、小学校はちゃんと教室に座っていた記憶がほとんどありません。ランドセルを隠して、制服着替えて、途中下車して動物園に1人で行ったり、学校隣接の公園でかたつむりやどんぐりを袋いっぱいに集めたり。ひとりの世界にいて、他者の言葉も想いも自分に届かないようにしていました。バスと電車で片道1時間半かかる私立でしたが、わざとバスに乗らず歩いて探検しながら電車の駅まで行き大遅刻。学校に着いた私の手には巾着袋に詰め込んだ大量の牛ガエルのおたまじゃくし。色々な場所をくぐって通るので、ランドセルは傷だらけ。小さな蛇を捕まえてビニールに入れて持って行ったこともありました。もちろん教室に放ちます。戦果として。

たまに逆方向のバスに乗ったらどうなるんだろ?と思ったらしく隣りの市行のバスに乗り、隣りの市まで行ったり。バスの運転手が家に通報してめちゃくちゃ怒られ。電車も、知らない駅で知らない路線に乗り換えて、どこまで行けるのか試してみて高校生に保護されたり。廃材置き場の廃材を組み合わせて勝手に秘密基地を作りラジオを持ち込んで昼寝し、警察に通報されたこともあったなあと遠い記憶として持っています。毒性のある植物を数種類すり潰して汁を小瓶に溜めて人に塗り、顔がボコボコになる様子を見てこの世には毒があるんだ、おもしろ!と思ったり。完全にサイコパス。「お嬢様私立」にふさわしいふるまいをという枠の中が嫌すぎたんだと思います。何が「お母さまお父さま」だよ、って言葉遣い一つにも反発していたようです。全て、幼い私は枠組みへの反発ありきで自由を謳歌するという何ともポジティブではないやり方で楽しいという感情を学んでいました。そりゃ退学になる。

中学の部活も陸上部は母の期待に応えることになるのがだるいので入らず(母はかつて国の陸上強化選手)。足が速いことをずっと隠して適当にやっていました。部活対抗リレーで茶道部としてアンカーを走った時、ビリ2から全員抜いて優勝してしまい陸上顧問に陸上部に入れとしつこく勧誘されましたが、「同じ小学校出身の陸上部の女子たちに嫌味を言われている私に気づいていたのに、取るに足りないものとして発見しなかったくせに」と思いながら断り、「復讐完了〜。最初から本質を見ずに今さら気づいても言うこと聞かないよ」とややこしい自己肯定感を発動していたような笑 思春期~。
もう全く勉強はせず。「クラスで1人だけ理科100点がいる」と先生が言うとみんなが振り返って私をみる。私、67点笑。頭が良いと思われ、期待されているのが心地悪くて勉強をしないことで「本当の自分」を見いだそうとしていたんでしょうね。頭が良い=その人の価値、足が速い=その人の価値、と言うのが思春期の大多数のセオリーなら、それにことごとく反発してやろうと思っていたんだと思います。自分の価値や人の価値って何だろう?が分からなかったので、枠の中の分かりやすい価値観で測られることにとりあえず反発することでアイデンティティを探していたのでしょう。エゴの自己、メリット集めすぎだろー。

高校も修学旅行がヨーロッパ海外旅行というただ一点で選びました。もちろん勉強していないので、簡単そうなところかどうか教師には聴きましたが。どの高校がどんな偏差値かも興味なさすぎて知りませんでした。おかげで入ってから入学試験成績が良かったとかで奨学金をもらえましたが、高校もびっくりだったと思います。入ったら赤点常連になったから。何度も職員室に呼びだされていたような。旺文社とかなんか模擬テストあるじゃないですか、全国で受けるやつ。あれを定期的に受けることになっているクラスでしたが、そういうテストではまあまあな点を取ってランキングに載るわけですよ。でも校内テストは赤点だから、全国テストでカンニングしてるんじゃないか?って疑われたり。マークシートは勘で出来るから、サイキックな肉体を持って生まれた者には相性が良かっただけです。人生で一番、高校時代の記憶がありません。

大学もいわずもがな。適当に身近な人(高校の担任と空手の師匠)が通っていた大学に進みました。法学部、という学部だけは自分の意志で決めましたが。だって研究論文書けるし、学説や判例など対抗議論があるから、戦えるじゃないですか、紙の上で。反発を充分に出来る。こんな思春期で、ずいぶんと反発の中で自分探しをしていた気がします。これは大人になっても会社組織と戦う、他社と戦う、という形で繰り返していました。核のレベルで幼少期に形成した思考パターンで、底流が覚えちゃったんでしょうね「反発すれば自由が得られる」「反発すればアイデンティティを見つけられる」「反発することで自己価値を得られる」って。底流ぅ~勇敢さはもう十分学んだからぁ~自己価値は自分の中の美徳で支えるからぁ~って、シータヒーリングを始めてから終わらせました。

幸せとは

今、インストラクターをしながら思います。人の幸せは、自発的に湧き上がる「好き」「やりたい」「ワクワク」の中にあるなと。それは学歴や生まれ持った能力にとらわれず、魂が喜んでいることを見つけた時に知る自発性です。誰の思惑にも圧倒されず、自分で決める自発性です。「好き」に向き合う時、そこには喜びと感謝があり、情熱や意欲もある。どんな人生になっても後悔しない。全ての選択を自分で出来るから。納得して選択する連続が、自分の人生を創造して行く。令和ロマンさんの生き様カッコいいなーそれを自然にやってるなーすごいレインボーチルドレン世代だなーと思いました。
余談ですが、人は周りの世界に圧倒されるとサイキックを閉じます。思春期までの私も閉じたエネルギーセンターはいくつかありましたが、クラウンチャクラだけは閉じずにいた過去の私を褒めてあげたい。過去の私に「あなたがクラウンチャクラを閉じずにいてくれたから、創造主にもたどり着けたし夢見能力で人生の危機を回避できた。本当にありがとう」って。
皆さんも、過去の自分を誉めてあげると、それは自分を許し肯定し、自分の心や霊性を育むことになるので、後悔するのではなく学んできたプロセスを誉めてあげてくださいね。