シータヒーリング 比較のエネルギー

先日、都知事選候補者の公約発表を見ていて感じたこと。

某候補が述べたどの公約も「対立候補」を封じる手段として打ち出されたもの。「敵」を打ち負かすための戦略的な戦いのエネルギーだけがそこにはあって、都民のことを想って考えられた公約ではないな、と。

「敵」はこう出てくるだろうから、こういう材料でより優れた印象を与えよう、
「敵」の弱点はここだから、それを攻撃していかに敵が至らないかアピールになるような公約を用意しよう、という消極的な公約。

一体、都政で何を実現したいのか、どんな風に都民の暮らしを想っているのか理解出来ませんでした。ただ単にその候補者が都知事という地位でやりたいことのために、耳障りの良い言葉を選んで都民に「私の方が優れている」アピールしているだけに感じました。

都政は、人の暮らしはゲームじゃない。

「敵」を打ち負かすことにフォーカスしている人が、本質的な都民の暮らしや幸福度を上げる「気持ち」にフォーカス出来るとは思えない。

それが透けて見える発言を堂々と自信満々に語る姿に、この方は自分が他人からどう見えているのか客観視する力が欠けているんだなと思いました。

これが企業間の生き残り戦略だったら分かります。他社に勝ち市場を確保することは資本主義で営利目的の場合必要だから。でも都政は営利目的ではない。人の暮らしを、人生をサポートする仕事です。

エネルギッシュに戦闘モードでいる間はドーパミンもドバドバ出ていて興奮状態。なかなか客観視は難しい。でもその興奮状態は、見るべきものを見落とす。冷静さがなければ、様々に絡み合う人の感情を拾えず、自分本位なパラダイムで他者を切り捨てて行く。

きっと、戦闘モードでしか自分の意見が受け止めてもらえるやり方を知らないんだろうなと感じました。「強くあらねばならない」「自分の正義を貫かねばならない」そんな、自分ごとでいっぱいいっぱいの人が、都民のことまでサポート出来るでしょうか。

まずその候補者自身に幸せになってもらいたいなと思います。他者を思いやるやり方を戦闘モードなしのやり方に変えて楽になったり、ありのままの本当の自分を表に出す恐れから解放されたり、やられる前に攻撃するという防衛本能をゆるめて、害さない他者もいると、他者を信頼する感情を持ったり。何もシータヒーリングをやれと言っているわけではなく、今は人間の波動がアセンションしやすい時期。このエネルギーを利用して、ほんのちょっと気づけば元来賢い候補者だから、楽になるのではないかなと思います。

結局いつの時代も、受け入れられるのは相手の為を想って心で対話してぶつかった人。信念の中に、愛がある人。

「自分のため」はもちろんいちばん大切だけど、そこに他者への愛も同時になければ、ただのエゴイズムの暴走。それで数多の王朝が入れ替わり、政権争いで国自体が淘汰されてきた。

願わくば、前時代的な進化していないエネルギーの方ではなく、愛のある見通す目を持った、エネルギーシフトしている人が都知事になって欲しい。

多少実務経験に欠けても、ハートがある軽やかな人はちゃんと周りに実務を回すサポート役の人を引き寄せる。狭い自分のパラダイムで強引に手腕を発揮するよりも、他者のパラダイムを総合的に捉えつつ、愛という芯がぶれない人が寄り添った政治が出来る。

今国政も次々メスが入り、政治家の在り方が見直され始めています。色々なことが明るみに出る時代の流れの中で、そろそろ政治分野でもエネルギーシフトが起こると良いなと思います。

中野区みたいな、フットワーク軽く良いものはどんどん学び、先入観をいったん外してとりあえずやってみる、という軽やかな自治体も出て来ているから、中央集権的な都政は今は難しい。自治体でかなりフットワークに差があって、◯馬区みたいな教育に対しての考えかたが古くて、素早く動きはするけど時代に合わない価値観で素早く動くから方向性を見直す暇もなく残念なことになっている自治体もある。

それぞれの考えややり方を対話で共有リスペクトし、横の繋がりで底上げするのを調整するような立ち位置で、新都知事は都政を担って欲しいと思います。