シータヒーリング 育み直し

怒ると叱るの違いは何でしょうか。
「怒る」は感情のままに主観的に怒りをぶつけている状態です。
一方、「叱る」の場合は叱る相手の話をまずは一旦聴いて、それから何故その行動がいけないのか「理由」を説明することだと思います。

こどもは生まれてから、何が良いことで何がいけないことなのか、ルールを大人から教えられて学んで行きます。だから当然、小さい頃はたくさん失敗して、叱られる場面も多いと思います。問題は、ルールを教えられる時に自尊心がズタズタになってしまうような教えられ方をすることです。それが「怒られる」です。

人は誰でも、一方的な怒りの感情をぶつけられたら不快ですよね。こどもは、怒っている相手に対して恐れを感じるか、または反発を覚えます。相手の怒りのエネルギーの中にエゴイズムが入っていればなおさら反発します。それは、自分の自由意志を無視されて傷つくからです。エゴイズムは相手の自由意志を無理矢理ねじ曲げて、従わせる支配的なエネルギーだからです。

「叱る」の場合のエネルギーは、寄り添いや思いやりのエネルギーが入っています。それがたとえ、人間の小さな定義観点の尺度を使って叱る場合でも、受け取る側のこどもは少なくとも自分のために叱っていると感知するので、話に耳を傾けようと思えます。
そして、そこに言い訳という名の逃げがあったとしても、自分の言い分をいったん聴いてもらえると、尊重されていると感知します。
さらに、「叱る」の場合は、その時その瞬間にやらかした良くない行為に対して、同じことを繰り返さないためにどうしたら良いかを「一緒に」考えるエネルギーが入っています。叱る側が一方的な主観で「こうすればいい!」と押し付けてしまうと、気弱な人は反論出来ないので、あくまでも「どうしたら良いと思う?」と促しながら一緒に解決策を考える受容のエネルギーが必要です。

これは会社の上司と部下の関係でよくあるシーンだと思います。けれども、遡れば幼少期の親子関係で同じことをしていたのではないでしょうか。親が怒りにまかせて手をあげたり、罵倒したり。あるいは「叱る」に近い形であっても一方的な価値観を押し付けて反論を許さなかった場合、子供の自尊心はズタズタです。

「怒る」で育てられた子供は、自分は尊重されていない、大切にされていない、と感じてしまいます。
愛されるってどんなものなんだろう?親のそれは、愛なんだろうか?と、愛の受け取り方が分からなくなります。傷を伴うのが愛ならば、愛なんてこの世にないんだ、と思い誰のことも自分の心の中に入れようとしなくなります。
自分しか信用できない、と思い込むかもしれません。
ただ、この場合の「信用できるのは自分だけ」の「信用」は、いつわりの信用です。ネガティブなエネルギーの信用です。それはグラグラしていて、いつでも外部評価で揺らぎます。自分しか信用できないと思っている反面、自己評価が育っていないので他者の評価に自尊心が左右されます。自分を受け入れない相手は取るに足らない人間だと殻に閉じこもり、ジャッジしまくる場合もあります。

そうしなければ自分という存在を疑ってしまい、崩壊してしまうからです。サバイバルの自己が生き延びるために発動し、底流が「他者を拒絶する」というやり方で自己崩壊を避けようとしているだけなので、それは別に間違ってはいません。それしかやり方を知らないだけ。底流は自分自身の中にある感覚感情を使ってしか、解決策を作り出せないので、豊かな感覚感情が育まれるはずの幼少期にそれが育まれていなければ、当然しんどいやり方しか出来ません。だから、仕方ない。

でも、このやり方はしんどいですよね。

程度の差はあれど、このしんどいやり方をしてしまう人は結構いるのではないでしょうか。これを解決するには、親から与えられなかった「叱る」の中にあるポジティブなエネルギーを自分自身に与えてあげることが必要です。

「尊重される」「思いやりを向けられる」「話を聴いてもらう」「受け止めてもらう」「1人の人間として対等に話し合いを許される」などです。これは全て「愛される」という感覚感情の中に含まれているエネルギーです。

それを学ぶためにキツい現実を経験したのかもしれませんが、これに気づいていない場合、学びは終わらないので人生の中で何度も何度も、かつて親にやられたような扱い方を他者からされるでしょう。そして、いつも親にしていた反応「黙ってやり過ごす」「自分を無能だと思って自分を責める」「反発しまくって敵を量産する」「わざと相手が困るようなことをやらかして、復讐する」「どうせ自分なんて、と諦める」などをしてしまうかもしれません。

それは自分にも相手にも思いやりや愛のない反応ではないでしょうか。思いやりや愛を知らないのだから、当然の反応です。繰り返しますが、あなたは何も悪くない。

けれど、もしももうこんな反応はやめたい、と望むなら。
相手のせいでこんな自分になった、という外側を恨むことにフォーカスするのをやめて、もうこんな自分は嫌だと自分自身の内側にフォーカスして、自分に足りなかった感覚感情を育み直そうと決意した時、反応を変えて行くことが可能になります。シータヒーリングを学んでいる人も、学んでいない人も、「変わる」一歩は自分自身の変わりたいという決意からです。受け取る準備が出来るのは、人それぞれのタイミングがあるので、変わりたいという心の声が聞こえたら、メッセージをくださいね。その一歩を踏み出すサポートが出来たら嬉しいです。