シータヒーリング

長岡の花火。今年もLIVE配信で楽しみました。
大会の目玉「フェニックス」この演出は素晴らしいですよね。震災復興から始まったフェニックスは、当時震災で様々な想いを抱えていた市民のラジオリクエストNo.1だった楽曲「ジュピター」を採用していて、もうそこから市民に寄り添って作られています。歌詞に困難な「今」を重ねて力をもらっていた市民の想い。

花火は大玉が上がり、消える寸前に小さな玉が幾つも打ち上がり、消えても次世代に「繋ぐ」という命のリレーを思わせるし、散り際にもキラキラした閃光が余韻として残る(点滅星)のも、命の煌めきに見えます。
菊花花火の内側で咲く芯星は、周りの親星(おやぼし)の中心で太陽のように力強く光を放つ。どれも人生を表現しているように感じます。何メートルにも及ぶ長い距離を左から右へ順に立ち上がって行く花火のウェーブも「繋ぐバトン」を連想させます。

ジュピターの歌詞に

夢を失うよりも 悲しいことは
自分を信じてあげられないこと

愛を学ぶために 孤独があるなら
意味のないことなど 起こりはしない

というフレーズがあります。

これはシータヒーリング的にもその通りだなと思います。
意味のないことなどない、というフレーズは、リアルタイムで困難な中にいる時はなかなかそうは思えない。困難に翻弄されて「学ぶことがある」とは思えないかもしれない。けれど人は、時間薬という優しい薬によって、いつか出来事を少しだけ冷静に俯瞰して見られるようになる。
ヒーリングを受け取る準備が出来るのは、この時間薬で少し癒された後ではないでしょうか。そこに怒りや後悔、悲しみが残っていたとしても、前を向こうと思えたタイミングが、癒しを受け取れるタイミングではないでしょうか。それは時間薬の「時間」の中に、他者との関わりの時間と、他者に心を育んでもらえた時間と、自分に向き合う時間があるからだと思います。感謝の気持ちや思いやりが時間薬の成分ではないでしょうか。

ジュピターの歌詞の冒頭は

Every day I listen to my heart
ひとりじゃない

という言葉で始まります。

復興に向けてさあ頑張ろう、と思えるまでの震災直後は頑張ろうなどと考える暇もなく目の前のことに対処しなければならない。けれど1人じゃないと気づいて他者を自分の世界に入れ始めたら、頑張れる。市がフェニックスの使用楽曲に市民の心を採用した意義は素晴らしいですね。

完全に余談ですが、ソウルメイトのお話を。2011年の花火大会で、まだ知り合っていなかった私と主人は同じ会場で同じ空を見上げていました。
長岡花火のもう一つの楽曲花火「天地人」。当時花火の総合プロデュースをした信宏さんと主人が幼馴染で主人は関係者席で涼しげに鑑賞、私は離れた芝生の上でキャンプ仲間とそれぞれ鑑賞。
当時私は仕事が楽しくて、仲間と遊ぶのが楽しくて、しばらく恋愛から遠ざかっていました。でも花火を観ながらぼんやりと、「ああそうか、戦災や震災があっても命は繋がっていくのか。それは美しいことなんだな。私もいつか誰かと出会って、命を繋ぐのかな」と思いました。結婚のけの字も考えていませんでしたが、この時心の中で「もしこの地球上に、私のパートナーがいるならその人に出会わせて」と願いました。はからずも「マニフェスト」していたわけです。(もちろんしばらく後により緻密にマニフェストリストを考えて色々条件指定はしましたが)

マニフェストは純粋な意図をユニバースに投げた時に叶います。私は長岡花火で意図を投げました。出会う予定の相手にも出会う準備が出来るタイミングがあるので、すぐすぐ叶わない時もあります。結局4年後に主人と出会い、結婚するまでは半年もかかりませんでした。

ジョシュとレエナのエピソードにもありますが、彼らは出会う前からいつもほんの少しの距離の場所で生活していて、生活圏を共有していました。ニアミスがたくさんありました。でも、ソウルメイトだけどお互い出会う準備が出来ていなかったから出会わなかった。

私と主人もよく似た状況だったなと思い返します。江ノ島の海、鎌倉、大学、旅行先、そして長岡花火。ニアミスがいっぱいありました。親の職業や施された教育、家族構成もそっくりで、食の傾向や基本的な価値観や視点が同じ。対話重視型。出会っていたら意気投合しそうなものですが、あの頃はお互いソウルメイトを必要だと思っていなかった。だから出会わなかった。

主人が「結婚して家庭を持ちたい」と思ったのが2015年で、そう思ってすぐに私と出会いました。花火から4年。今ソウルメイトを望む皆さんは、相手が準備出来ているかどうかも出会う要素なので、自分が足りないからだとか、自分なんてと悲観しないで、タイミングを楽しみに待ってみるのも大切かと思います。「とりあえずのソウルメイトもどき」を引き寄せて失敗した!と後悔するより、信じて待つ時間を楽しむ、です。ちなみに主人は幼馴染の信宏さんやその他のお友達もスピリチュアルに明るいというか、宇宙人的な思考回路を持つ超個性派、サイキックな友人が多いので(変人ホイホイのあだ名があります)、私がシータヒーリングのインストラクターをしていることにも寛容です。これからソウルメイトを引き寄せたいと思っている方は、この「シータに寛容」もリストに入れると良いかもしれませんね。「どちらか1つしか選べない」というビリーフがあるなら、外して「全部受け取れる(他人の自由意志を尊重してエゴイズムに動かされない前提で)」という思考パターンに書き換えておきましょう。

2016年に悪阻で入院になり、長岡花火に行けなくなり(主人は単独で信宏さんと行った)、それきり子育てもあって行けていないので、また行きたいですね。