愛猫の死
しばらく更新が止まっていましたが、実は愛猫が亡くなって、しばらく機能停止していました。まだ魂が普通に家にいることも分かっているし、玄関開けたらいたし、でも死んだ後どんどん身体が冷たくなって行って、首もだらんとなっちゃって、肉体の温もりが無くなっていくショックがこびりついていて、立ち直るのに時間がかかりました。エネルギーはそこにあるのに、身体がないってつらいですね。泣き過ぎて目が腫れて起きる時瞼がくっついて開きません笑。
愛猫自身は直前までもりもりご飯を食べて、特大うんちして、そのまま寝ている間にうっかり死んでしまったので、いまいち死んだ自覚がないようです。でも、病気で苦しむこともなく、家族に心配かけることもなく、ピンピンコロリで理想の最後だったんじゃないかな。特大うんちをしていたから、体液も出ず綺麗なまま火葬しました。顔も穏やかに寝てるだけみたいで、気づかないうちに寿命来てたわ!という感じでした。
学び
今ある幸せも、今ある悩みも、自分と相手がいてこそです。突然の別れが訪れた時、後悔しないために、普段の何気ない日常を大切にすることを、最後にあの子が深い実感と共に教えてくれました。私は息子や夫に後悔しないかな?と生活を見直してみる機会にもなりました。実は、亡くなる1週間前になんとなく毎朝毎晩愛と光を送った方が良い気がして、まとめて送っていました。やれることはやった上でのお別れだったから、後悔はありません。死の扉をくぐったのは、猫自身のハイヤーセルフが決めたことだから。見届けの時に、1週間先まで見届けたのですが、あれ?なんか、感覚が違うぞと違和感は感じました。送れたので違和感を見逃したのですが、甘かったなとは思います。霊体になっても送れるから、ちゃんと実体に送れているかを細かく見届ける必要があったなと。これも学びですね。そして、本当に愛していた存在を失って、自分が持っていた愛の大きさにも気づくことが出来ました。
しばらくこの世に留まって、普段通りに生活して、気が向いたら上に上がるらしいので、いてくれる間は私もいつも通りそこにいるものとして過ごします。彼が人生を幸せだと感じていて嬉しいし、次のステージが光に照らされていて、どこにいても幸せならそれでいいな。ついつい、いつもいたクッションやお気に入りの枕を見ちゃうよね。そして、いなくてびっくりする。いつも霊体が観えるわけじゃないし、抱っこしてぬくもりを感じられないっていうのは、こんなに喪失感があるんですね。三層は肉体があってこその感情を学ぶ場所。この悲しみも、喪失感も、肉体ありき。とことん悲しんで、立ち直る過程の感情も学び。たくさんのギフトをありがとうと、愛猫に感謝です。