無条件の愛

何故創造主は世界を創ったのか

「創造主ってさ、何で銀河とか生き物を作ったんだろうね。創造主って無条件の愛のエネルギーなんでしょ?エネルギーだけど世界を創ったんだよね?」
と、7歳児が寝入りバナに言いました。
…これ、昔シータヒーリングの基礎だったかな、受講した時に一緒に受講していた受講生がインストラクターにした質問とよく似ています。その時インストラクターが放った言葉は「創造主の暇つぶし」。自分以外の存在がいないから、退屈で生き物や世界を作ったんじゃないかな、実際はそんなところだったりして〜」と。

無条件の愛

…私はそうは思いません。だって創造主は「無条件の愛」です。愛のエネルギーならば、何をするでしょうか。自分が退屈だとか、寂しいとか、利己的な理由で動くでしょうか。愛から生ずるのは、おそらく分かち合いだと思います。愛のエネルギーを分かち合い、拡張する。物質やエネルギーの様々な形で愛というものの素晴らしさを創造主以外の、創造主が生み出した存在が感じられたら、お互いが愛を持ち愛が循環したら、より素晴らしいハーモニーとなる。

例えば私達人間のボディが創造主だとすると、脳は六層。様々なルールを決める。心臓は五層。でも末端の足の指の細胞は、自分が創造主の一部だと知らない、気づかない。それぞれの持ち場で、細胞は臓器や血液、髪の毛や骨として活動しているけど、全体としてボディになっていると気づかない細胞もいるでしょう。

同じように、創造主という全体像を知らずに単に細胞の一つとして人間が生きているなら、六層の脳や五層の心臓が「生かす」という助けを得ながら「愛」を分かち合うために全体像を把握する学びの場が必要。分かち合いだから、創造主もまた全ての存在により成り立っていて、どの存在も自分の大切な一部。多岐にわたる存在を生み出し全体として愛を分かち合い循環させていく、そういう在り方を創造主は選択したのかもしれません。

創造主に聴いてもハッキリここは分からないので受け取れた分かち合いというイメージは正解ではないかもしれませんが、少なくとも無条件の愛のエネルギーが単なる暇つぶしで生命や宇宙、法則を創造したのではないと思います。
ここで7歳児の回答「きっと、創造主は自分を愛しているから、愛し愛されるって言う存在を創ることで、もっともっと愛を広げようとしたのかもね」です。7歳の答えの方が温かい。愛の観点から物事を観ながらシータヒーリングのインストラクターをし続けたいなと思う寝入りバナトークでした。