日曜日、こどもが行方不明になりました。結論から言うと、警察に無事保護されました。この行方不明事件、こども、私それぞれに重要な学びがあったのでシェアしたいと思います。
朝小学2年生のこどもが、家から徒歩3分の公園に1人で遊びに行きました。そこで高学年のお友達と約束して遊ぶ、と言うのをゴールデンウィークあたりから始めました。
これまでは私が自宅にいる状態で、1時間ごとに給水や安全確認のために戻ってくるという約束を守っていました。たまに様子を見に行ったりもしていました。
ところがこの日、主人が面倒を見ていて私は都内に出かけていて不在。
主人が11時に戻ってくるようにと約束をしましたが、そのまま主人は昼寝してしまいました。
起きて気づくと12時半。息子が帰宅した形跡がなく、主人は公園や小学校の校庭、近所を一通り探しましたが見つからず。誰と一緒にいるのかも不明。
相手のパラダイム -息子-
1人で公園デビュー出来た!ママが一緒じゃなくても行ける!と自信がついてきて、気が大きくなっていた頃合い。初対面の子供たちと、声をかけて一緒に遊ぶコミュニケーション力を発揮して、次週の約束も自分でして。
(自分で出かけられて誇らしい!1時間ごとに帰るの面倒くさいな・・・。お友達はいちいち帰っていないのに・・・11時に帰らなかったら、ママには怒られるけど、お父さんなら怒られないかな)
自分のパラダイム
(自分が小学校1年生からバスと電車で1時間かけて私立小に通っていたし、3歳の弟と二人で電車で動物園にも行っていたし、息子もそろそろ親から離れて一人で冒険する楽しさを学ぶ時期かな。自立心の芽生えを尊重しよう)
(シータヒーリング的に/守護天使派遣してるし、ネガティブなことは何も起こらない。)
行方不明の顛末
12時半に息子がいないことに気づいた主人。方々を探し回り、主要なお友達の家にも行ったけれど見つからず。私にLINEが来る。「行方不明になった、探したけどいない」
私はその時シータのインストラクター仲間の所にいて、ちょっと時間をもらって創造主に繋がる。「ハメを外して冒険しているだけですよ。警察に電話」と言われる。
何で警察?と思いましたが、ネガティブなイメージが全然ないので息子のハイヤーセルフとも話をしてみました。やっぱり何も起こっていない様子。
主人に「警察に電話して一緒に探してもらって」と伝える。
その間ヒーラーの友人も「安心安全に戻ってきました!」とコマンドサポートをつぶやいてくれました。
10分後「巡回中の警察官が商業施設で発見してくれた」と主人から連絡が。
息子はなんと、高学年の子と一緒にカードゲームをしていて(初体験)、高学年の子も11時に帰れと促してくれるも遊びに夢中になってしまい約束を破ったとのこと。
主人が迎えに行くまで、パトカーに乗せられ警察官にこってり叱られていたそう。
息子の課題
息子は「切り替え」がへたくそ。夕飯、宿題、歯磨きと、遊びを中断される「次のこと」をすんなりやらない。学校でも休み時間に盛り上がった時は次の授業で引きずって席につかず1年生の時は何度か先生に怒られている。「他の子の授業の邪魔になるから廊下に立っていなさい」
彼は今、時間の見通しや、自分の行動で周りがどう感じるかを学ぶ重要な幼少期にいる。切り替える方法は一緒に工夫して彼が納得するやり方でいろいろチャレンジしているので、今回の行方不明事件も表面上は「約束を破って帰ってこなかった」ことが問題に思えるけれど、深部は切り替えの未熟さ、自分の気持ちだけにフォーカスしてしまう未熟さ。
これは幼少期に時間をかけてこどものペースで学んでいくこと。
ただ、自分の気持ちだけを考えて相手の気持ちを考えないと相手を心配させたり傷つけたりするということを、今回の事件で学んだのではないかと思う。
切り替えられず自分の気持ちをコントロールできないのは、まだまだ自分の気持ちというものをどう大切にしたらいいのか、その学びの最中だからそれはいい。警察官や主人に叱られたので私からは心配したとだけ。もう二度と会えなくなるんじゃないかと、私も主人も心がズキズキして生きた心地がしなかったよとだけ。
主人は警官から「小学校2年生ですからね。厳しいことを言いますが、親の責任です。あと少し発見が遅かったら全国手配になるところでしたよ」と言われズーンとしていました。ママには怒られるけどお父さんなら大丈夫だろう、というのも地味にダメージだった様子。
適切な養育
今回私の学びは「適切な養育とは何か」をじっくり考えることだった。
そもそも、私の養育ミスが少なからず今回の「約束を破って帰らなくてもいい」に影響を与えている。
先週息子がこの高学年の子を家に連れてきて、家の庭で一緒に遊んだ際に炎天下でその子が昼食もとらず遊んでいて、一度家に帰ってご飯食べてからまたおいで、と伝えても遊びを続行していたということがあった。
おうちの人が心配している、と考えた私は、強く帰宅を促せば良かったのにそうしなかった。それぞれの家庭のルールや約束事があるわけで、その子が昼食時には帰宅すると母親と約束しているのだからそれを押し通すのが気遣いだったし、よその家庭を尊重することだった。
でも私は「これ以上帰らなかったら熱中症になる。危険。」と考えて、息子用のおにぎりを半分こさせて、給水させて塩分タブレットを二人に摂取させた。
二人が食べている間にその子の母親に連絡して、今うちにいること、帰宅せず13:30になっているのでアレルギー確認をしたうえで熱中症対策のためおにぎりや水分を分けたことを伝えた。
彼の母親は自分の息子が帰宅しないことに慣れていて、昼食を抜くのはよくあることだったらしい。実は以前よそのお宅で食べ物をもらってトラブルになったことがあるから息子には家で食べてと約束させてある、と言っていた。まずここで、よそのお宅のルールを私の「良かれ」という自分本位なパラダイムで破ってしまっている。昼食を抜くなら熱中症になるからこれ以上遊ばせないときっぱり言うことが優しさだったし、尊重だった。それをとりあえずの考えなしの対処で済ませてしまった。
そして、この時息子は「(高学年の子が)家に帰る約束破っても大丈夫なんだ」という認識を持ってしまった。うちのママは高学年の子がおうちのルールを破ったけど、それをフォローしていたから自分も少しくらい時間のルールを破っても大丈夫だろう、という小学生らしい解釈で。
本当に、適切な養育は難しい。何が本当の尊重なのか、境界線はどこにあって、どのように識別したらいいのか。散々シータヒーリングで学んで、人にレクチャーしていてもこのザマです。
でも、一方で息子と私がお互いに必要だから共同創造した事件なわけです。
コマンドやハイヤーセルフとの交渉をしてあるので、怒りや悲しみを伴ったネガティブな学び方はもうしていませんが、ネガティブではないけれど今回のようなドキっとする学び方があるんだと思いました。学ばせてくれた息子に感謝。
そもそも現代は、私が小学生のことろは違って、子供だけで7歳児を遊ばせるのはともすれば虐待と捉えられてしまうかもしれない。私のパラダイムでは、一人でチャレンジする気持ちや成功体験が自立につながるから見守ろうというスタンスだった。実際お風呂も一人で入るし、朝も一人で起きて夕食のサラダやみそ汁は一人で作る、という目覚ましい自立をし始めたので「なんでもやらせてもらえる」という心地よさを大切にしようと考えてのことだった。
でも、そこにもやっぱり境界線はある。7歳は体格も小さく身に迫る悪意から一人では身を守れない。物理的に力で大人には敵わない。安全面での配慮や予測を見誤ったのかもしれないと、境界線を考え息子と話し合うきっかけになった。
過剰な恐れは持つ必要はないが、保険と一緒で万が一の備えとして境界線の設定は話し合いで両者納得してルール化するもので、過信はいけないと学んだ。
そして、手のかかる息子のお世話を丸投げ状態になってしまった高学年の子に申し訳ない。11歳とはいえまだ小学生。生まれて初めてカードゲームを知った7歳児に帰宅を促すというハードな状況にしてしまって本当に反省。
今回は何のことはない、事件性のない行方不明だったけれど、もしシータをやっていなかったら圧倒されて不安で右往左往していたと思う。聞けば真実を教えてくれる創造主は万能だけど、「創造主に守られているから安心安全だ」という信頼と「創造主に守られてるからネガティブなことなんて起こるわけがない」は同じ言葉のように見えるが、後者の中には少し最後通牒的なエネルギーが入っているので、今回は自分のエネルギーの点検にもなりました。