どんな学校を作る?新設の私立小学校を作るならどんな学校だったらこどもを預けられる?または自分が通いたかった?この問いって、育みのマニフェストだなあと思いました。
人間にとって、幼少期にマスターしたい感情や反応は、シータヒーリングのリレーションシップ3で学びます。それがまんま、得られる学校がベストだなと思います。
尊重される
まず尊重ね。教員が、ジャッジや偏見、固定概念を持たずに柔軟にこどもの意見、感情に耳を傾けて尊重してくれる資質を持っていることが大前提。こどもは、リスペクトでき、カッコいいと思える先生が言うことには素直に耳を傾ける。つまり、傾聴姿勢がある先生がカッコいいわけで、だからこそ、こどもも先生の姿から傾聴と尊重されること、尊重する姿勢を具体的に学べる。
信頼する
次に、信頼。出来ないと決めつけたり、可能性を否定したり、枠に当て嵌めて枠から外れるこどもを異端とするキャパの狭い教員は、こどもに呪詛を吐く。自分にキャパがないから、恐怖や力でこどもをコントロールして、安心を得ようとする。だから、教員自体が自分の可能性を信じ、こどもの可能性を信頼する度量を持っていることが、学びのベースとして必要。
こどもはカリキュラムから学ぶのではなく、人から学ぶ。どんなに素晴らしいテクニックを散りばめたカリキュラムでも、教える側の資質で学校生活は変わる。
反応の仕方を教える
いじめの問題も時としてある。人が集まればそうなる。だけど、そうなった時に教員が適切な対処を教えられるかでこども達の反応や行動はまるきり違ってくる。教員には、問題に対する反応の仕方を教えるだけの資質が必要だと思う。
保育の現場でも、何故かとりあえずお互いに謝らせるという変な落とし所を指導することがある。でも、謝れないのも、感情をコントロール出来ないのもこどもの特徴で、問題は何かトラブルがあった時にどう感情をコントロールするか、を学ぶ機会に出来るかどうか。
そこに「選択肢」がないから、とりあえず謝らせるという乱暴な処理法しかこどもは学べない。謝れない、怒りがコントロールできない子なら、今その子が持っている感情を言語化して伝えることをまず教える方がいいし、自分の感情を自覚するのが先。これをしないと、言語化して伝える術を知らないこどもは、イライラに任せて別の発散方法「癇癪」「暴力」に走る。
でも「いま、嫌な気持ちなのかな?怒っちゃうのかな?」と、気持ちを肯定し自覚させ、そのあとで次の行動(処理方法)の選択肢を複数与えたらどうなるか。
じゃあ、怒りがおさまるまでこの場から離れようか?とか、お友達に何が嫌だったか伝えみる?とか、どうしたら仲良く遊べるかお互いの気持ちやそれを大切にする方法をお友達と考えてみようか?とか。話し合いを選択したら、ルールを決めてみるというやり方があるよ、と伝え「順番におもちゃを使う」「どのくらい使うか時間を決める」のように促してもいいし、怒りはしておらず、お友達に譲ってもいいかな?という気持ちが芽生えている子なら「譲る」という選択肢もあるよ、それってクールだねと伝えるのと同時に自己犠牲や過度の我慢で自分の意見を言えなくなることにならないようにする。そのおもちゃで遊びたい気持ちは大切にしようね、遊びたいよね。じゃあ少し時間が経っておもちゃが空いたら使おうか。その間、何がやりたい?こんなのも楽しいかも、と気持ちを消すなではなく残しつつスライドして楽しみはたくさんあるから固執しなくても世界は楽しい、と教えるチャンスにする。ずっと意地をはって譲歩出来ずに長くもやもやする経験も必要だけど、そうなった時は「ごめんね」の素晴らしいパワーを教える。もやもやのエネルギーを抱えたまま過ごすより、ごめんねを伝えることが相手と自分を別のエネルギー、別の関係性に変える魔法の言葉だと、人生を軽やかに進めるツールになるんだということも時として教える。反省しきれていなくていい。大切なことは、お友達と良い関係に戻りたいという願いがあるなら、まずそれを叶えよう、ごめんねをしたあとでも、どうしたら仲良く遊べるか話し合って気持ちを伝え合えるんだよと伝える。
これは小学校でも一緒。そういうサポートがなく、学業だけにギチギチにフォーカスした学校は、心が育たないから勉強が出来ても引きこもるこどもを作り出す。常に比較意識をモチベーションにして前進し、優位性を至上とする大人を作り出す。
誰もが自分を、自分の気持ちを大切にしても良いのだということこそ幼少期に学ぶべきことで、人格形成だけでなく人生の方向性のベースになる。多様性がしきりに叫ばれる昨今、いきなり多様性と言われても受け入れられないのは、受け入れるだけのベースの心「自分を尊重する」「尊重してもらえる」が欠けているから。
学校教員は特例措置で社会人教師枠がある。それを要件拡大してもいいし、教師でなくても学校が多種多様な個性とフレキシブルな考え方を持ち、自分を信じ楽しみ前進している人を招いて、学校内で講演会を定期的にやってもいい。自分らしくある大人が生き生きとしている姿が、教育になるから。リスペクトし、こどもも「自分も自由でいいんだ」と思えたら、偏差値で大学や職業を選ぶのではなく、人生でやりたいことを見つけてその方向に進む幸せを得られる。満たされる、というのは自分への思いやりと尊重の先にある。そこを育てることの大切さを認識している教員を集めた学校、それが良いなと思います。