シータヒーリング 恐れ

恐れとビリーフについて色々考えさせられる。

息子の保育園時代からの同級生男児。彼は保育園時代、保育園児とは思えない荒れっぷりで、典型的なイジメをやるタイプだった。

3年後の今「すごくいい奴になったよ」と息子が言った。

保育園時代息子は彼に、園庭で何度もパンツを脱がされたり、触られたりした。彼は「みんなー!◯◯(息子)と遊んじゃだめだよー!」と他の子に言ったり、すれ違いざまに私に威嚇したり暴言を吐いていた。

それが今は「すごくいい奴」にチェンジしているとはどういうこと?と思い、詳しく聴いてみた。

彼があれからどう変化したのかは息子もクラスが違うため、全体像は把握していない。聴けば、今年になって急激に「お願いを断らない子」になったらしい。息子も経験があるが、友達とバッタやカブトムシを捕まえてきて「あげる」という約束をするのは小学生男児あるある。息子は去年頑張ったけれど、バッタ捕獲に失敗して約束を果たせない時もあった。それが、彼は必ず約束したらカブトムシやクワガタを持って来るという。捕まえられなかったら買ってでも。

「約束を守るっていい奴だね」と息子は言っていたが、そうだろうかと心配になる。

そもそも彼が息子に執着したのは、彼が仲良くしたいと思っている別の男児と息子が赤ちゃんの時から仲がいいことが発端。彼の中には「一緒に仲良く皆で遊ぼう」と言う発想がない。自分から輪の中に入るより、輪の中から目当ての子を自分の方に来させるという発想。そして、気に入らなければ大声で叫び罵倒し、行事も気分次第で投げ出す。手に入らないものがあると、それを持っている子を攻撃する。つまり人間関係の距離感やアプローチの仕方が分からないということ。

もし彼の中に「自分の意見を聴いてもらえる」「受け止め共感してもらえる」という感覚感情があったなら。過剰な恐れから「やられる前にやっつける」という思考パターンや、「人は自分を害する」という思い込みがなかったら。

輪の中に入れないのは、恐れがあるから。目当てのものを無理矢理強奪するやり方しか知らないから、他人を排除する結果になる。

どうせ希望なんて聴いてもらえないと言う思考パターンがあるから、穏やかに話し合いをしたり素直な気持ちを伝えて仲間に入ることが出来ない。つまり彼は、他者と関わり生きることが怖いから過剰に反応し極端な行動をする。

今の彼が「何でも断らない」子になっているのは、ポジティブな変化ではなく、恐れの防衛本能が強すぎて「服従すること」で自分が傷つくのを回避しているだけではないだろうか。相変わらず、生きることが怖いのだ。

彼の両親は拳で従わせるヤンチャな家族。母親に甘える彼を横目に、興味なさそうに携帯をいじる。目の前で我が子が他児にした暴力に対しても、止めることもなく相手の親に謝るわけでもなく「オラ、行くぞ」でおしまい。母親もまた、愛のある養育をされていなかったのだろう。だから子供への接し方が分からないのかもしれない。

息子はいい。強いし、彼の発言に踊らされて仲間はずれにするような友達もいたが、そうでない優しい友達と遊んでいたし、相変わらず嫌だと言えていたから。私にヘルプを求めることが出来るということは、息子は境界線の引き方をちゃんと知っているということ。

けれど、では誰が彼をサポートできるのか。

彼が人を傷つけた時、誰がそれは良くないことだと道徳的な観点を教えるのか。どうやったら仲良く出来るのか、その方法を教えてあげられるのか。

それを5年間の人生で誰も教えないから、野放しだから変わるチャンスが訪れない。このまま成長すると、ますます人との接し方が拗れるリスクが高まる。

だからまず、親に自分の息子がどんなことをやっているのか把握してもらうことが有効だと当時は思った。どうせあの親は伝えても無駄だと決めつけるより、ダメ元でも気づきのきっかけは投げられると思った。だから、園と話し合いをした。

この園は、子ども同士のトラブルを滅多に親に報告しない。加害児の親も、被害児の親も知らない。怪我をしても、相手が誰かは言わない。それが一貫した園の方針。けれど私は別の園で現役保育士だったから、言わないケースと言った方がいいケースをきちんと使い分けて対応して円満解決している自分の所属園のやり方を知っていたので、必ずしも黙っていることが「教育」ではないと思っていた。園が保護者にトラブルを報告しないということは、親同士の確執やトラブルを避けられるから、園が面倒な対応に巻き込まれる率が減るメリットはあるけれど、子どもの心を育てるという観点からみると、介入したら良い場合もある。

彼に必要だったのは、相手の気持ちを考える機会。自分の行動が相手にとってどんな意味を持つのかは、幼少期に周りの大人が教える必要があったと思う。

けれど、直接彼に接触するとそれはそれで園が禁じる「直接的な解決はNG、園を必ず通してください」に反する。だから、園経由で課題を投げて見守ろうと思った。それが最大限出来ることだった。不用意に彼に接触すれば息子を犠牲にするリスクがあるので、両者ともにケアするためにはこの境界線がぎりぎりだった。

息子が彼からイジメられた原因は私にもあって、息子はお迎えに行くと走って駆け寄ってきて、ジャンプして抱っこの体勢でしがみついてきた。それを彼が見ていることも多々あった。素直に無邪気に親に抱っこをせまる息子と、それを笑顔で受け入れ「可愛いんだからもうー」とぎゅーする私。彼からすれば、それは自分が出来ないコミュニケーションの取り方。きっと、言語化は出来なかっただろうけど、悔しい、羨ましい、悲しいという気持ちが入り混じって息子に対してイライラしたと思う。それに気づいてからは、お家でうんと甘えようね、と息子に言って、やめた。

彼は私に学びの機会を確かにくれたし、息子にもくれた。だからこれからもきっと、陰ながら見守る。攻撃性が恐れから来るなら、今の「断らない」彼も恐れからそうしている。これを続けていると、自分の軸がないまま、行動基準を持てないまま「回避」するために生きるようになる。

今できることは、息子と私が彼について話することだけ。今はもう、息子に対してイジメをしてこないし、カブトムシあげるよ、の件があるくらいにはコミュニケーションを取れている。だから、私が息子に

「△△君、誰のお金でカブトムシ買ってくるのかね?カブトムシを捕まえられなかった日は、お小遣いをお友達にカブトムシあげるために使ってるのかな?もし◯◯(息子)が約束守れなくて、お小遣いで買わなきゃってなったらどう感じる?」と聴いてみた。

「僕は自分のお金使わない。やだよ。捕まえられなかったら、ゴメンって謝ればいいじゃん」と息子は答えた。

「お友達が許してくれなかったら?約束破った!って怒ったら?」

「お友達は許してくれるでしょ。捕まえられない時だってあるって、僕の友達はみんな虫あげたりもらったりしてるんだから知ってるよ」

「そうだね。だけど、それ、△△君は知らないんじゃない?約束したら必ず守らないといけないって思ってるんじゃない?今年から虫取り仲間に入ってきたんでしょ?友達が怒って、独りぼっちになっちゃうのが怖いんじゃないかな。焦ってお小遣いを使ってまでカブトムシ買わなきゃ、って考えちゃうのはつらいだろうな。」

「本当はお金使いたくないかもね。じゃあ僕が教えてあげればいいんでしょ?捕まえられなくてもいいよって僕が言えば分かるよね」

こんな風に会話をすると、察した息子が彼に学びをお返しできる。息子は彼のことを「本当は弱いから強がって色々嫌なことをしちゃうんだよねーきっと」と言っていたので、彼に必要な感覚感情が何か、本能的に知っている。

大人でも人との距離感や境界線が分からない場合、程度は違えど彼と同じようなことが起こる。攻撃するか、自己犠牲するかで身を心を守ろうとする。

同じような思考パターンを持つクライアントさんや受講生さんには、思考パターンを変えていくお手伝いが出来ることを、彼に感謝しながらありがたく思う。