カルト宗教と恐怖を使った支配

カルト

大事件から30年目。最近カルト宗教の当時を特集した記事が目立ちますね。二十代の若者が中心に後継団体に入信しているそうで。それは裏を返せば団体が、事件を知らない二十代をメインターゲットに勧誘しているということ。そしてそれだけ、空虚さとやりきれない思いを抱いている若者が多いということ。

日々の暮らしが物質的に豊かでも、精神的な豊かさが感じられず親子の温かな絆や社会からの受容が無ければ生きることの意味を見いだせない。何から解決したら良いのかももう分からず、政治にも期待できず、陰謀論に脅かされる。出口を求めて願う時、そこにカルトが甘く囁けば行ってしまう脆さは誰しも持っていると思います。

どんなカルトも何らかの宗教がベースになっていて、先人が良いことを説いている叡智を断片的に使っているから、恐怖を煽る支配力に気づきづらいと思います。日本人ならヨガや仏教など取り入れ易い概念をベースにしたカルトに惹かれるのは簡単だと思います。集合意識も作用する。

恐れを使った支配

カルトには大きな特徴があるのではないかと思います。それは、人の心に眠る「恐れ」を巧みに利用して手招きするという特徴。「◯◯しないとこうなるよ」「地球は、人類はこのままだと滅亡する」「◯◯を捨てないと××だ」と、恐れを煽り支配する。太古の昔から、人は支配のため手っ取り早い手段として「恐れ」を使ってきました。

闇バイトの特殊詐欺から抜けたいのに、家族の住所など個人情報を握られたから実行せざるを得ないという事件が増えていますが、これも「人質」を取られ危害が及ぶという「恐れ」から実行してしまいます。特定の親は「こうしないとこうなるからこうしなさい」と子供を支配する。いうことを聞かなければ愛してもらえないと感じた子供は愛を失う恐れから支配される。利用されていることが薄々分かっていても、別れが怖いから支配的なパートナーから逃れられない。経済的な不安という恐れから本当は離れた方が良いと感じているのに離れられない。どれも、恐れと恐怖で身動きが取れなくなっている状態です。

そして一見穏やかに見える「階級制度」も恐れを使った支配を生み出します。下の階級に落ちて馬鹿にされたくない、落ちたら必要とされなくなる、落ちたら無価値になってしまう、家族が離れていく。だからそれが誤った組織でも止まることは出来ない。失うことへの恐れで判断を見誤る。支配者のエネルギーを持つ人や団体は、何かを与え、失いたくないという恐れを利用して後戻りできなくする、そんな恐れを使った支配が特徴です。

正常な判断力

恐れで頭がいっぱいになると、正常な判断力を失います。周りからみればイジメも「転校すれば良いのに」とか「人生のほんの一瞬なんだからその環境を捨てて変えれば良いじゃない」と思うことも、恐れに忙殺されている人はそんな思考を持つ余裕はない。体内ではノルアドレナリンが分泌され、扁桃体が過剰反応し、慢性ストレス状態になり不安障害やパニック障害の症状が現れる。当然全身のホルモンバランスも崩れて、安心安全ホルモンのセロトニンやオキシトシンは分泌されなくなる。すると、そこに温かな出口があっても、温かな人が目の前にいても気づくことが出来なくなる。恐れは、こうやって人体機能をエラー状態にして人間らしい思考力を停止させるから、支配するのに手っ取り早い。

本当の救いは、健康な精神状態と体内バランスを保った上で自分自身に価値を見出すところにあると思います。

支配者側が四層五層の低いエネルギーの存在と繋がると、どうしてもその存在が持つ支配や階級意識に影響される。だから教祖としての自分を敬え、というヒエラルキーを作ろうとするし、積極的に恐怖を利用する。「◯◯しなければこうなるから〜〜しなさい」というフレーズを多用する。

それは、真実?量子物理学的には、植え付けられた恐怖は重たい波動を放つから、恐れていたことが引き寄せられて現実化するだけ。そんなことは起こらないという思考エネルギーのチェンジで本来回避出来るはずの現実を、自らの重たい恐れがバッドエンドを引き寄せてしまう、そんなからくり。

自由意志

カルトに引き寄せられるのも、引き寄せられる人のビリーフがそうさせる側面があるから、それはその人にとってその瞬間は最善の現実かもしれない。何かを学ぶためかもしれない。最初は自由意志で入信するかもしれない。だから人が何を選ぼうと尊重する必要がある。けれど自由意志は恐怖によってじわじわと支配され、失われていきます。気づいた時に抜け出すのがハードでも、それすら学びにはなるから尊重する必要がある。でもそもそも自分に価値を感じられたら、誰かに受容してもらえていたら、恐れでいっぱいの波動になる前に愛を知っていたなら、カルトが送る支配の信号を受信することなく、自分の内面に肯定や希望という豊かさを育み、「救いを求める」のではなく「より素敵な自分になりたい」というエネルギーで人生を創造していける。だからこの記事を発信しています。

どうなりたいか

シータヒーリングのメソッドがどんな宗教、信条、人種、性別であっても関係なく使え、宗教ともぶつからないのは「◯◯しなさい」「◯◯しないと良くないことが起こるよ」「◯◯すべき」「◯◯する義務がある」というエネルギーを一切持たないからだと思います。ただ目の前にある現実を、自分の思考のエネルギーと細胞の中にある思い込みやネガティブな感情、トラウマ、何かへの誓いが引き寄せたものと捉え、その現実を誤りや悪と捉えるのではなく人間としての「学び」の1つの経験と捉える。そしてもし、もう繰り返したくない、終わりにしたいと自由意志で思えたら、神仏に頼るのではなく自分自身の決意を使って手放す。

他力本願でカルトに「何とかして」と縋る時、そこに「どうなりたいか」がない場合が多々あります。その現実から解放されてどうなりたいか?それに答えられない時、その人は既に人生の目的を見失った状態。自分のために生きていたならなりたい姿が浮かぶけれど、自分を犠牲にして他者のためだけに生きていたり、あまりに辛いことが重なって希望を何も見出せなくなっていたら、「どうなりたいか」は出てこない。なりたい自分が見えない時、ただ入信すればなんとかなると全力で傾倒してしまう。それが、支配の始まり。なりたい姿がない人ほど御し易い人はいない。与えた階級やミッションをこなすことが生きる喜び、なりたい姿だと錯覚させるのは簡単。私たち誰もがこの危険性は持っています。

支配されず、人を支配しないために必要なことは「どうなりたいか」を決意すること。言い換えれば「人生の目的を持ち、自分の心地よい状態を知り、何を求めているのかを理解する」ことではないかなと思います。

自己愛

自分が心地よい状態を知るということは、自己愛をスタートさせるのに重要です。自分の意見を聴いてくれる人達に囲まれて、尊重してもらえて、我慢して飲み込んだり自己犠牲をして場の調和を保つのではなく、安心感と信頼感の中で他者に受け入れられたらどうでしょうか。意見を言ったら共感してもらえたり、他者と違う意見だった時はリスペクトありきで差異のある部分を健全な話し合いで解決できたらどうでしょうか。取るに足りない存在として蔑ろにされることなく、あなたの足りない部分ではなく素晴らしい面にフォーカスしてくれて、それをありがたがってくれる人に囲まれたらどうでしょうか。みんな必要とされ、必要とし、助け合って生きていけたらどうでしょうか。

心地よい状態を知ることは、自分を愛することに繋がります。そうなりたいと思うことが、自分を大切に想う一歩です。神仏を信じることではなく、自分を愛すること、それが自分を救うことではないでしょうか。心地よいと感じる状態を明確なビジョンとして抱けたら、その現実を手繰り寄せることがスタートします。

「自分なんて」と自分を愛せない場合、周りに尊重や傾聴、敬意や思いやりがあっても受け取れません。欲しいのに、拒絶するからそこにあるものや未来の可能性に気付けません。自分が本当はどんな状態で生きたいのか?それを知ること、そうなろうと決意することが、自分を愛することだと思います。もちろん利己的な愛ではなく他者への思いやりとバランスが取れた愛です。

「気づき」と「決意」からシータヒーリングは始まります。逆を言えばヒーリングテクニックを知っていても、「気づきと決意」がなければ何も起こりません。気づきと決意は「自由意志」です。自由意志を投げて初めて、ユニバースはサポートを与えてくれます。四層五層の存在は、どうなりたいかを尊重するよりも「こうなるべき」の方向に導きますが、シータヒーリングが創造主と便宜上呼ぶエネルギーは「どうしたいのか?」を尊重し寄り添うエネルギーだからです。

先にも書きましたが、何を信仰しようとその人の自由。だから積極的に介入するつもりはありません。けれど、この世界は恐れが溢れています。もし今、恐れで行き先も出口も分からなくなっている人がいたら、世界には恐怖を煽って勧誘する低い波動があり、それは救いではなくハードモードな学びのドラマに突入する可能性を含んだ回り道になるかもしれないという視点を共有したいと思います。楽々簡単に内面と向き合い手放すやり方も、ハードモードで手放すやり方も、どちらも学べるのでそこにジャッジはしません。ただ、楽々簡単な方法は人生の豊かさをスキップで花を摘むように得て行けるから、何回も転生してリトライする必要がない。そんなやり方もあるよというのを発信することは、選択を迫るわけでもなく自由意志に任せた提示なのでしてみようかなとこの記事を書いてみました。