日本の役割

二元論

マーベルのWhat if…が昨日から始まりました。アベンジャーズ の「もしも」の世界線を描くアニメ。毎晩一話ずつ展開されていきます。前にも書きましたが、もしサノスとキャプテンアメリカが対話をしていたらどうだったんだろう。キャプテンは優等生だから、サノスが宇宙の人口問題を解決したいと考えて、人口の半分を殺戮するという暴挙に出る前に、対話があればもしかしたら一緒に人口問題の解決策をチームで考え、平和な解決を見出せていたかもしれません。

こどもと一緒にハマった初代シンカリオンを大好きなのですが、あれはヴィラン側の玄武が「対話」で解決する道はないかと悩み最終的に仲間になるので、善悪二元論の対立構造では無いため大好きなのです。ウルトラマンも「怪獣」全部が悪とはせず、分かり合える展開があるので好きです。一方から見れば正義でも、他方から見れば悪になる。正義や悪の定義観点は人のエゴでどうとでも転びます。

日本の昔の戦隊モノは極端で、勧善懲悪。対話などありえず、憎き敵を成敗します。それは見ている私達人間が、勧善懲悪でスカッとするからだと思います。非常に二元論に引っ張られていますね、人間の世界は。魂が五層出身だから仕方ないことかもしれませんが、今は集合意識のレベルでこれが変化しつつあり、対話によって関係性のエネルギー設定が出来ると人がその重要性に気づき始めていると思います。

シータヒーリングでもリレーションシップシリーズで関係性を学びますが、とかくリレーションシップ1で始まる対話という概念は素晴らしい。リレーションシップ2で学ぶ善も悪もないという愛の視点はもっと素晴らしい。じわりじわりと、映画やアニメ制作者の中にシータヒーリング修了者が活躍しているなと思います。実際ハリウッドのムービーシーンには、ヴァイアナからシータヒーリングを学んだ人達がたくさんいます。

日本のおおらかさ

What if…の話に戻しましょう。去年もクリスマス時期からスタートしましたが、これはきっとマーベルからのクリスマスプレゼント。海外はクリスマスと新年をまとめて祝うので、新年にかけてのプレゼントでしょう。Merry Xmas &happy new yearとクリスマスカードに書きますもんね。

海外はクリスマスプレゼントだけで良いのに、日本はお年玉を別に用意しなくちゃだから面倒だな、と家族で話していて「あ、クリスマスが後から入って来たのか」と気づきました。これって日本人の大らかさを象徴していません?島国で、安心安全な国だったからおおらかなのかなと。陸続きで常に隣国の脅威を警戒していると、文化の流入や言語の流入は自国のアイデンティティを脅かすし、スパイ対策のためにも異文化をブロックする必要がありますが、日本にはあまりその恐れがない。かつて神道の日本に仏教が伝来した時、蘇我氏と物部氏の小競り合いがありましたがうまいこと融合しました。
クリスマスも、キリスト教と敵対する宗教国は受け入れないでしょうけど、日本は楽しいイベントの側面、上澄みだけをうまくすくって楽しんでいる。ハロウィンなどもそうですよね。海外のお盆をイベントとして楽しめる。

日本の役割

これだけ安心安全があるというアドバンテージがあるから、日本のシータヒーラーはビリーフに取り組める。明日ないかもしれない命に怯えることなく上昇できる。もちろん海外のシータヒーラーは、大変な国でこそ学びたいと決めて生まれて来たのでしょう。素晴らしいことです。日本に生まれたヒーラーは、安全の中でよりたくさんのビリーフに取り組み、集合意識に取り組み、過去世を終わらせることが出来る。だからこそ、たくさんワークするという側面から地球の波動を変化させていける役割に全力で向かえます。世界における役割分担だなと思います。全体で変容するには、安全ゾーンからの働きかけメンバーが必要なんでしょうね。やおろずの神様があちこちにいる日本は、そのための基地なのかもしれないな、とWhat if…からずいぶん発展して考えに耽ってしまいました。