責任

創造主の定義観点

みなさんは「責任」と聞いてどんなエネルギーを感じますか?重たいですか?プレッシャーを感じますか?他者に関わる時「責任」が創造主の定義観点とずれていると、なかなかしんどくなると思います。どこまで関わったら良いのか、手を出すのか、見守るのか。「関わったら即、最後まで全責任を負ってしまう」と捉えているビリーフがあると、他者の問題を何でもかんでも自分ごとにしてしまいます。また、自分が困っている時に他者からサポートされるのも「相手の負担になってしまうからサポートしてもらうのが申し訳ない」となる可能性もあるでしょう。

シータヒーリングでいうところの、創造主の定義観点の「責任」には、境界線と識別が含まれています。「自分の人生は自分だけが責任を取れて、そうしながら他者のことも思いやれる」です。決して重たいエネルギーではなく、思いやりに近いエネルギーです。

人は皆、それぞれ何かを学ぶために生まれてきて、学びながら成長しています。誰もが、自分の人生は自分の自由意志で決めます。ならば、自由意志で決めたらその責任も自分で負う、というのも納得が行くのではないでしょうか。義務ではなく、法則です。
「自由意志を尊重する」というのは他者の選択を見守り尊重し、その人が自分のエネルギーで生きることをサポートしよう、というスタンスのことです。あなたのエネルギーで生かしてあげよう、ということではありません。誰かの人生を背負わなくてもいいんです。自分のために生きてよいのです。相手には自分で人生を前進できる力があると信じて。
ここで定義観点がズレていると過干渉をしてしまい、どこまで背負ったら良いのか分からなくなり、結果それが「重たい」になってきます。共倒れに繋がります。過剰な責任感は時として「良かれと思って」という形で発現し、相手の学びの機会を奪、い、ま、す。
なかなか識別が難しく感じるかもしれませんが、人を信頼し委ね、思いやりを自分と他者両方に向けた地点がバランスの取れる識別地点です。

責任

あなたの人生はあなたのためにあり、あなたが責任を感じる大切な人の人生はその人のためにある。だから、「責任を背負う」のではなく、大変な時はサポートする、という視点で相手に接してみると良いかもしれません。そして、あなたの境界線を持つ。あなたがあなたらしい人生をイキイキと送っていられて、あなたが幸せで、やりたい事が出来ている、それがあなたの歩く人生の道です。誰かの為に生きるのではなく、まず自分の魂の学びにフォーカスします。自分への思いやりと愛を発揮して生きて、その上で他者をサポートする。それが境界線です。そして、いつどんな時に、どの程度相手をサポートしたら良いのかの識別も持つ。相手の自由意志と相手の学びを尊重し、過干渉ではなく見守りながら適切なサポートをする。意思決定は相手が自分で出来るようなサポートです。どうしたい?どうなりたい?それを対話して、意思決定をする際にサポートするんです。人間、自分で決めたことは前進するエネルギーが湧いて来ます。でも他者から言われたことは、嫌々やったり都合が悪くなるとアドバイスした人のせいに出来る。つまり自己発電で前進のエネルギーが湧きません。本当の強さや優しさは、見守り創造主に委ね、相手の可能性を信じて寄り添うことではないでしょうか。相手が自分のエネルギーで立てるように。もしあなたが今、責任について学んでいるとしたら、そのドラマはあなたがあなたらしく自分のエネルギーで生きる為のディバインです。相手に感謝し、あなたが創造主の定義観点の「責任」で相手に対応すれば、相手もあなたと一緒にエネルギーシフト出来ます。